杵築城

杵築城

杵築城
大分県杵築市杵築16-1
Tel:0978-62-4532
10:00~17:00(最終入館16:30)
ペコ
駐車場に車を停めるとすぐ入り口があります。
ペコ
杵築城は三方を海に囲まれた海城で、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となりました。
現在、山上は城山公園として整備されており、石垣が一部残っています。
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模擬天守(歴史資料館)が建てられ、数々の資料が展示されています。
また、鎧兜などを自由に着て写真を撮ることもできます。
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最上階からは360度の展望が楽しめます。
杵築城の最大の魅力はその城下町で、武家屋敷群、職人町寺町など、当時の風情が色濃く残っていますので散歩もおススメです。

杵築(木付)城主の変遷

建長2年(1250)豊後大友氏二代親秀の六男親重は、鎌倉幕府から豊後国見郡武者所に任じられ、八坂郷木付壮三千五百貫を与えられた。以降、地名にちなんで「木付」氏を称した。

木付氏四代頼直は、高山川河口よりやや内陸の竹ノ尾城から、高山川と八坂川の河口にあたる台山に城を築き、移った。応永元年(1394)のことである。これが木付(杵築)城のはじまりである。

文禄2年(1593)、宗家である大友吉統は、朝鮮の役の失態等で時の天下人、豊臣秀吉の怒りにふれ、領地である豊後を没収された。この朝鮮の役に従っていた木付氏十七代統直は、この大友氏豊後徐国を嘆き、帰国途中の門司の浦(福岡県北九州市)で自刃入水した。その悲報を知った国元の父・鎮直も自害、344年に渡る木付氏統地の幕がおりた。

その後、豊後(約42万8千石)は、豊臣秀吉の腹心、もしくは子飼いともいうべき家臣が細切れに領有する。また多くが豊臣氏の藏入地になる(16万8千石)。木付(杵築)も、豊臣家に近い領主によって治められる。木付(杵築)城主としては、前田玄似・宮部継潤・杉原長房・早川長敏などの名前が確認、または伝わっているが、文献上確認できるのは杉原長房である。長房は豊臣秀吉正室北政所の従兄弟にあたる。豊臣秀吉の死後の慶長5年(1600)2月、木付を含む豊後速見郡6万石は、徳川家康の斡旋により細川忠興の飛地となる(本領は丹後12万石)。城代は有吉立乃、慶長6年には細川氏家臣の中でも格別の松井氏が城代となる。

寛永9年(1632)細川氏の肥後転封に伴い、譜代・小笠原忠知が4万石で白主として入封する。正保2年(1645)、小笠原氏の三河吉田への国替えに伴い、九州諸藩の動きを監視する譜代として松平英親が3万7千石で白主として入封する。途中、5千石を分地して3万2千石になるが、この能見松平氏が幕末まで続く。なお正徳2年(1712)、三代藩主重休の時、六代将軍徳川家宣からの朱印状において「木付」の文字が「杵築」になっていたので、幕府に伺いをたて、以来「杵築」と表記することになった。

 

杵築(木付)城の沿革

応永元年(1394)木付頼直によって八坂・高山両河口に岬状に突出する城山台地(台山)に建造された木付城は、東に守江湾が拡がり、南の八坂川、北の高山川に囲まれた天然の要害であった。木付氏築造の頃は台山を空堀で4つに区切った連郭式の平山城であった。

文禄二年(1593)、大友氏の豊後除国に伴い木付氏も滅亡し、それ以降、豊臣家の大名により中世城館から石垣等を使用した近世城郭へと改変されていく。発掘調査により台北北麓での時期の石垣と考えられるものが発見されている。慶長5年(1600)の関ヶ原前後、杵築周辺は細川忠興の領地となり、慶長6年以降は、細川の家臣の中でも別格の松井氏が城代となり、この頃の石垣と想定されるものが、今でも一部露出している。

元和元年(1615)に江戸幕府が発した「一国一城令(一国もしくは一大名に、政庁とする一つの城を残し、ほかの城は破却するというもの)」により台山の城は破却され、城としての機能は北麓に移る。以降、江戸時代を通じての杵築城は北麓の藩主御殿(平成28年2月大分県指定史跡)等となる。台山と藩主御殿との間の堀の石垣や、御殿北側の石垣はこの頃のものと考えられる。松井氏は城代、次の小笠原忠知以降は城主であるが、引き続き北麓を使用した。

昭和45年(1970)10月に、市内外の有志多数の協賛により台山の現在の模擬天守が建てられた。

なお、天正14年(1586)島津家久の豊後乱入の際、猛攻撃に2ヶ月も絶えたことから別名「勝山城」とも呼ばれている。

 

すずらん食品館

杵築城から日出方面へ向かうと、たまごやさんの美味しいプリンのお店があると聞き行ってみました。

ペコ
店内には卵がたくさん。
プリン♪プリン♪
ペコ
プリンがない!!!!!
ショーケース左上にあったのだろうか…。
諦めてスフレケーキとシュークリームをいただきましたがこれもとても美味しかったです。ソフトクリームを食べている方も多かったです。
今回の旅も満足!
杵築と日出は近いので、まとめて全部もおススメです↓
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