国宝「臼杵石仏」

国宝臼杵石仏
〒875-0064
大分県臼杵市大字深田804-1
年中無休9:00 ~ 17:00(最終入館16:30)

 

臼杵石仏は、凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりしたことは分かっておらず、今もなお多くの謎に包まれています。

昭和55年から14年間に及ぶ保存修復工事が行われ、その際に永年頭部のみの姿で親しまれた古園石仏中尊の大日如来像も胴と一体となりました。そして平成7年6月、磨崖仏では全国初、彫刻においても九州で初めて国宝に指定されました。木彫りとみがまうばかりの見事な彫刻技術と仏の数では、他に類をみることなく、国内外で文化遺産として高い評価を得ています。平成29年には古園石仏群の手前右側の岩壁に刻まれた2体の「金剛力士立像」が国宝に追加指定され、これにより臼杵石仏(磨崖仏)の国宝の数は合計で61体となりました。

石仏群は4群に分かれ、地名によって、ホキ石仏第一群(堂ヶ迫石仏)、ホキ石仏第二群、山王山石仏、古園石仏と名づけられました。

 

ホキ石仏第二群

九品の弥陀像(ホキ石仏第二群第二龕)

比較的小さな9体の阿弥陀如来像が刻まれている。中央の一尊だけが裳懸座に座し、彩色も鮮やかに残っているが、他の8体は欠損がひどく惜しまれている。平安末期頃の作といわれている。

阿弥陀三尊像(ホキ石仏第二群第一龕)

見事な彫刻技術で彫られた、臼杵石仏の中でも最も優れた石仏のひとつである。中尊阿弥陀如来像はどっしりと量感豊かで、毅然とした表情は彫技の冴えを感じさせる傑作である。平安後期頃の作。

 

ホキ石仏第一群

平安時代から鎌倉期に至るまでの磨崖仏が20数体並びます。4つの龕からなり、第1龕は、如来坐像3体と菩薩立像2体、第2龕は阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像、如来坐像の3体、第3龕は大日如来像ほか4体、第4龕は地蔵菩薩半跏像並びに十王像の11体です。

地蔵十王像(ホキ石仏第一群第四龕)

中尊に地蔵菩薩をすえ、冥府にあって亡者の罪を裁き救済する十王像を左右に5体ずつ配している。錫杖を持たず、右足を座し左足を立てている地蔵菩薩は、古い様式で珍しく、光背の彩色唐草紋も残っている。鎌倉期の作。

如来三尊像(ホキ石仏第一群第三龕)

中心の三尊は、中尊に金剛界大日如来を配し、右に釈迦如来、左に阿弥陀如来が並んでいる。三尊とも膝前が長く広いのが特徴で、如来像の台座には、願文や経巻を納めたであろう円や四角の孔がある。平安末期頃の作。

如来三尊像(ホキ石仏第一群第二龕)

ホキ石仏第一群の中心的な存在である中尊の阿弥陀如来は、静まった顔で、眉、目、髭を隅で描き、量感あふれる姿が特徴である。三尊とも彫技は優れ、ホキ石仏第二群の阿弥陀三尊像同様の傑作で平安後期頃の作といわれる。

如来三尊像(ホキ石仏第一群第一龕)

中尊に釈迦如来を刻み、童顔で親しみやすい表情で語りかけてくる。彫法はやや劣り螺髪の刻み方など簡略化した跡がみられ、素朴な印象を与える。平安末期頃の作。

 

山王山石仏

3体の石仏で、中尊には大きな如来座像をすえ、その左右には脇尊としての如来座像を配す珍しい形式をとっている。邪気のない童顔が心を和ませてくれる。「隠れ地蔵」とも呼ばれ、故安井曽太郎画伯が絶賛した像である。平安後期頃の作。

 

古園石仏

中尊の大日如来像は、切れ長の目に引きしまった口元が極めて端正で気品あふれる表情を作り、各方面から限りない絶賛を受けている。以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置され、長く人々に愛され続け、世界的にも有名であったが、保存の為の修復に合わせて仏頭も昔日の見事な姿に復位された。平安後期頃の作。

この古園石仏の北側にある金剛力士立像は平成29年に国宝追加指定を受けている。

 

重要文化財「五輪塔」

観覧順序から少し外れたところにある重要文化財の五輪塔。途中急な坂道な為注意が必要です。

大小2基とも在銘の五輪塔である。

大きい方は、空輪及び風輪の一部を欠損しているが、総高約151㎝をはかる。粗削りだが素朴で重量感あふれる塔である。地輪北面部に「嘉応弐年(1170)」の刻銘がある。

小さい方は、総高104㎝で地輪北面部に「承安二年(1172)」の東面には「千部如法経願主遍照金剛」の銘がそれぞれ刻まれている。この塔は、承安二年に如法経(法華経)を納めるために造立されたことがうかがえる。

 

最後に

近くの石仏公園には四季折々の花が咲いていて、7月から8月には大輪のハスの花が咲き誇るその様子はさながら極楽浄土のようだと言われています。田舎にひっそりとある「臼杵石仏」ですが、たまに訪れたくなる、とてもほっとする場所でした。